レンタルiPadで戦国史を読もう

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今回はレンタルのiPadにて読む電子書籍をおすすめ致したく、戦国史について記述していきます。

端末をレンタルでご利用頂きますと新規購入よりも比較的、安価に済みますので、ぜひ、ご検討頂ければと思います。

拙文ではございますが、少しでも書籍に親しみを持って頂ければ幸いでございます。

戦国時代…と呼ばれていた時代が日本にはありました。西暦1450年以降から、1570年代まで続いた時代とされています。

ですから、500年ほど前ということになります。

その頃の日本を収めていたのは、足利幕府<あしかがばくふ>、または室町幕府<むろまちばくふ>と呼ばれる政治機関です。img_00012

“足利”というのは、この幕府を作り上げた人物である足利尊氏<あしかがたかうじ>(1305年~1358年)の姓からきたもので、“室町”というのは御所と呼ばれる将軍(幕府のトップで武士たちのリーダー的な存在、この場合は尊氏)の住まいがあった京都の地名からきています。

幕府の呼び名というのは、その幕府が開かれた場所や、開いた人物の姓を取って呼ぶ場合があります。

例えば、室町幕府の前時代の鎌倉幕府(1185年または1192年~1333年)というのは、開かれた場所が鎌倉だったことから来ています。

しかし、鎌倉幕府を開いた源頼朝<みなもとのよりとも>(1147年~1199年)の姓である”源”を取って、源幕府、あるいは源氏幕府とはあまり呼びません。

その鎌倉幕府が倒されて、後に幕府を作ったのが足利尊氏でした。

さらに詳しくいうと、幕府の最高職は「正一位・征夷大将軍」<しょういちい・せいいたいしょうぐん>で、これは京都の朝廷から賜る武士たちにおけるトップの官位でした。

将軍には幕府を開き、政治を主導できる権限のようなものがありました。この将軍職は、源頼朝以降には源氏の一族またはその子孫にのみ、継ぐことのできる役職になりました。ちなみに尊氏も源氏の流れを汲むということで将軍になりました。

その後、足利幕府は三代将軍・足利義満<あしかがよしみつ>(1358年~1408年)の時代に隆盛を誇りました。

義満は明国といった頃の中国と貿易をする日明貿易<にちみんぼうえき>、または勘合貿易<かんごうぼうえき>で莫大な資産を築き上げ、それを背景にして、国内の貴人や明国の使者などを出迎える迎賓館のような性格を持った「金閣寺」を建立したことで有名です。

また、征夷大将軍だけでなく、公家のトップである「正一位・太政大臣」<しょういちい・だじょうだいじん>という職にも就くという快挙を成し遂げています。

しかし、八代将軍の時代に起きた「応仁の乱」(1467年~1477年)という京都周辺を巻き込んだ家督争いという名を借りた国内戦争で、戦場とされた京都は壊滅的な被害を蒙るのです。

この結果、日本を統治していた足利幕府の力は弱まってしまいました。

その代わりにだんだんと力をつけてきたのが、足利幕府によって、地方の守護を任された大名たちでした。

日本の中心部分が弱まる時、地方が力をつけるというのは、この後の歴史でも繰り返す部分があります。

天下の主がいないという状況が群雄割拠の戦国時代の始まりといえます。

時代は、力のない者が力を持つ者にその地位を奪われるといった下克上の時代でもあり、地方に割拠する大名たちの中でも、統率力のない者たちは統率力のある家来や自身の親族である者たちから、どんどんその立場を侵食され始めます。

典型的な例としては、鎌倉幕府の執権職(将軍を補佐する人物のこと)である北条氏の姓を名乗り、後に関東一円に覇を唱えるに至る後北条氏(ごほうじょうし、鎌倉時代の北条氏とは別であるために、後の時代の北条という意を込めて呼ばれる)の家祖である北条早雲<ほうじょうそううん>(1432年~1519年)などです。

諸説あるのですが、彼は伊勢新九郎といって、浪人の身の上ではありながら、親族のコネクションから伊豆の韮山に城を与えられ、後に伊豆を制覇し、小田原城に拠点を持つ大森氏と戦い、これに勝利します。

早雲が当時の平均寿命から見れば長寿といっていい60代の出来事でした。

それからは相模国(現在の神奈川県)などを傘下に収め、後北条氏の勢力基盤を築いたとされています。

美濃国(現在の岐阜県)の戦国大名である斎藤道三<さいとうどうさん>(1494年~1556年)なども、下克上の流れに乗って世に出てきたとされています。

これまでは、道三が一代で美濃国を支配したとされていましたが、現在では父との親子二代で美濃国を奪い取ったとされています。

それにしても、家来に過ぎない人物たちが守護職である大名から、その大名が収める領地、または国を奪い取ることが出来る状況が当時としてはありうべからざる事態であったことのようです。

また以上の例よりも凄惨な”父の座を子が奪い取る”という事態まで起きています。

・・・この続きは次回までのお楽しみということにさせて頂きます。

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