レンタルiPadで関ヶ原 PART8

”灯火親しむべし”、”読書の秋”ということで、レンタルで、購入するよりも安価なタブレットやiPadで読む、電子書籍をおすすめ致したく、拙文ではございますが、前回に引き続き、関ヶ原の戦いについて、記述していきたいと思います。

少しでも書籍に親しみを感じて頂けたら幸いでございます。

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今回は少し、話を脇道に逸らすようですが、先述したように“律儀”ということが、この弱肉強食の時代にどれだけの価値があったかについては、豊臣家を支える五大老の人事にも、濃厚に表れているといっても過言ではありません。

まずは、五大老筆頭の徳川 家康ですが、彼も関ヶ原以前は、その後に豊臣家を滅亡させるべく大坂冬の陣・夏の陣に見せる老獪な印象とはまるで違っています。

家康は元々、松平 元康といって、三河国(現在の愛知県東部)の大名でしたが、それは名ばかりで、駿河(現在の静岡県中部)・遠江(現在の静岡県西部)の両国を収める当時の海道一の弓取り・今川 義元に臣従していました。

関ヶ原の四十年前である永禄三年(1560年)、隣国・尾張の一大名に過ぎなかった織田 信長に桶狭間にて義元が討たれた際に、今川家から離れ、三河国に独立できたのです。

それからは信長と“清州同盟”なる協定を結び、以後、尾張の隣国・美濃国(現在の岐阜県)を狙う信長にとって背後にあたる三河より東の抑えになったのです。

その後の信長は、滅亡寸前だった前時代の将軍家である足利 義昭を足利幕府十五代将軍に据えるという名目で、天下取りのゴール地点である京都を手に入れます。

しかし、信長の傀儡に過ぎない将軍・義昭は自身の立場を良しとせず、将軍の名の下に、各地の有力大名に信長を倒して、自身を助けるように“御教書”と呼ばれる将軍の命令文書を送るのです。

名ばかりの将軍とはいえ、当時は将軍から手紙を貰うだけで、大変に名誉のあることでしたから、それに呼応した大名たちが、信長を倒すべく行動を開始します。

それが世にいう「信長包囲網」でした。信長も周辺の強豪大名たちの動きには義昭を仰いで、京都に入洛する前後から注意を払っていたようです。

その中でも、特に”要注意人物”が二人いた訳ですが、この続きは次回までのお楽しみということにさせて頂きます。

 

レンタルiPadで関ヶ原 PART7

先日は季節外れの陽気でしたが、今日は季節に相応の天候と肌寒さになっているようでございます。こうした週末にレンタル商品が活躍するようでございます。

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”灯火親しむべし”、”読書の秋”ということで、レンタルで、購入するよりも安価なタブレットやiPadで読む、電子書籍をおすすめ致したく、拙文ではございますが、前回に引き続き、関ヶ原の戦いについて、記述していきたいと思います。

少しでも書籍に親しみを感じて頂けたら幸いでございます。

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世継ぎを諦めかけていた天下人・豊臣 秀吉に、待望の一子・秀頼が産まれたことにより、豊臣家の内部に大きな変化が訪れます。

その変化に巻き込まれた一人に豊臣秀俊・後の小早川 秀秋がいます。秀秋はこの時期の秀吉にとっては、”どうにかしておかなければならない”相手だったようです。

秀吉は、ここで妙案を思いつきます。秀秋を中国の覇者・毛利家に養子に行かせることでした。

親類の秀秋を外様の大大名である毛利家の後継ぎにすれば、ますます秀頼の行く末は安泰という訳です。

しかし、その事態を黙って見過ごすような毛利家ではなく、秀秋は毛利家の分家である小早川家に養子に迎えられました。

いくら、秀吉に臣下の礼を取ったとはいえ、毛利家というのは、鎌倉幕府・初代征夷大将軍の源 頼朝に仕えた大江 広元の子孫という歴史があり、中国地方では、古くから続く名門です。

かたや、秀吉にはそういった歴史がなく、身一つで成り上がった傑物ですから、現代では考えられないほど、血筋や氏素性に拘る戦国時代では、宗家の跡継ぎに、他家の者、ましてや名門ではない者の流れができること=家を乗っ取られるということを極度に恐れ、すわ天下の一大事と毛利家では、協議を重ねた結果、毛利両川で発言権が強く、思慮深いことでも知られる小早川 隆景が、自分の養子に迎えるということで、事態を丸く収めています。

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最初の狙いが外れたにも関わらず、秀吉がこれを受け入れたということは、多少なりとも無理を言っていると自覚していたのでしょうが、中国地方の覇者で、一代で十ヶ国近い領国を版図に収めた毛利元就の三男で、元就亡き後も、その遺言に従って、天下を狙わず、頼られたら断らずという律儀な家風という毛利家のイメージを近隣の諸豪族や天下の大名たちに浸透させた隆景の養子にできるなら、満足と思ったといえるかもしれません。

これで秀俊は、金吾中納言・小早川 秀秋として、後の世まで、良くも悪くも名を残すことになるのです。

・・・この続きは次回までのお楽しみということにさせて頂きます。

 

ワコム・ペンタブレット お試しサービス~応募のお知らせ~PART3

気温の変化が激しくなってきています。

この季節ともなると洗濯物が乾きづらくなり、部屋干しや乾ききるまでに時間が掛かってきてしまいます。

今日のような雨の日が続くと、コインランドリーなどに、行かれる方も多いかと思います。今年も、あと二月足らずで年越しを迎えようとしています。

何卒、お身体を大切になさって頂きたいと切に願う次第でございます。

ご利用中のパソコンなどにトラブルが発生した際、新品購入、修理までの間、レンタルのパソコンをお使い頂きますと、お求めやすい価格でございますので、大変、便利かと思われます。

ぜひ、こちらも併せて、ご検討のほど、宜しくお願い致します。

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さて、今回はご好評を頂いております、「無料試用期間14日間・ペンタブレットお試しサービス」(※ 片道分の送料のみ、ご負担頂きます)

応募のお知らせでございます。wakom

応募期間:2016年11月1日~11月3日

 

対象製品

  • Intuos Pro medium 5台
  • Intuos Pro large 5台
  • Cintiq 13HD 5台
  • Cintiq 13HD touch 5台
  • Cintiq 22HD 3台
  • Cintiq 22HD touch 3台

 

対象者:日本国内にお住まいで、ご本人様のご確認が取れるお客様

 

お申込み方法:弊社応募フォームより、製品貸出規約に同意の上、ご希望の機種を選択して、お申込み頂きます。

申し込み多数の場合は抽選とさせて頂きますので、ご了承くださいませ。

本サービスにて貸出可能、または当選された方には、原則、発送の5日前までに、メールにてご連絡させて頂きます。

なお、メールは当選者の方のみに送らせて頂いておりますので、こちらもご了承くださいませ。

その他、貸出期間や、貸出に必要なもの、発送、ご返却について、などの詳細は弊社のホームページに掲載されておりますので、そちらをご覧くださいませ。

また、この他にご不明な点がございましたら、お気軽に弊社までお問い合わせくださいますよう、宜しくお願い致します。

皆様のご応募、心よりお待ち申し上げております。

 

 

 

ワコム・ペンタブレット お試しサービス~応募のお知らせ~PART2

昨日とは打って変わって、今日は暖かくなりました。

この季節、気温の急激な変化に身体が順応しきれずに、体調を崩してしまうことが多々、あるようでございますので、皆様におかれましても、お身体を大切にして頂きたいと思います。

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さらに、多忙になるこの季節に故障や、MOSなどの試験勉強、勉強会や研修など、一時的なご利用、あるいは長期的なご利用に、新品購入をするよりも安価なレンタルのパソコンなどはいかがでしょうか?

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レンタルパソコンだけではなく、Wi-Fiルーターも併せて、ご利用頂きますと、より快適にインターネットをご使用頂けますので、こちらもご検討のほど、宜しくお願い致します。

 

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また、この他にご不明な点がございましたら、お気軽に弊社までお問い合わせくださいますよう、宜しくお願い致します。

皆様のご応募、心よりお待ち申し上げております。

ワコム・ペンタブレット お試しサービス~応募のお知らせ~

すっかり、肌寒くなってまいりました。

コートが必要な時期となって、いよいよ、年の瀬が近づいております。北海道では、もう雪が降っているそうでございます。

今年から来年にかけて、雪には注意を払わなければならないようでございます。

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レンタルiPadで関ヶ原 PART6

日照時間も日に日に短くなり、そろそろ木枯らしが吹いてくるようでごさいます。

読書の秋ということで、レンタルで、購入するよりも安価なタブレットやiPadで読む、電子書籍をおすすめ致したく、拙文ではございますが、前回に引き続き、関ヶ原の戦いについて、記述していきたいと思います。

少しでも書籍に親しみを感じて頂けたら幸いでございます。

関ヶ原に激闘を繰り広げる東軍、西軍の誰もが、その”人物”の去就に目が離せませんでした。

彼の名を小早川 秀秋といいます。

彼の官位は権中納言だけでなく、左衛門督にも任官していたため、唐名で左衛門督を指す金吾というあだ名で呼ばれ、もっぱら彼は「金吾」、「金吾中納言」と呼ばれていました。

元々は、木下 秀俊という名で、秀吉の正室・寧々の甥にあたり、それが縁となって、世継ぎのいなかった豊臣家では、秀吉の養子・豊臣 秀次に次いで、秀秋は御曹司に近い立場にあったのです。

しかし、世継ぎの秀頼が生まれ、養子であり、秀吉から関白職まで譲られた秀次でさえ、謀反の疑いありとして、失脚に追いやられたのですから、秀秋が出世コースから外れてしまったことは言うまでもありません。

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秀吉の晩年に見せる狂気というものは、それまでの彼の煌びやかな物語に陰鬱な影を落としていきます。

まずは、信長の姪にあたり、旧主筋である茶々を側室にしたり、良き相談役でもあった天下の茶人・千 利休、甥で養子にまでした秀次を失脚に追いやり、秀頼の生誕と前後して、海外出兵に踏み切ったり、嘘か誠かは別として、天下の大泥棒・石川 五右衛門を釜茹でにしたりと、それまでの人たらしと言われて、敵味方、すべての人々から愛されてきた秀吉とは、まるで別人のような印象さえ与える姿でした。

その秀吉にとって、老いてから授かった秀頼とは、まさに宝以外の何物でもなく、その秀頼の天下を阻むものは、例え、親族でも容赦はしないという凄まじい迫力に満ち溢れています。

それが、秀次事件を招き、豊臣 秀俊のまま、生涯を送るはずだった青年を、小早川 秀秋という名に変えさせたのでした。

秀吉は、茶々との間に、最初に授かった鶴松という世継ぎを生後、すぐに喪ってしまいます。

このやり場のない嘆き、悲しみ、そして近付く人生の黄昏に無情を感じた秀吉は、甥の秀次に関白職を譲り、自身は太閤(引退した関白の呼称)として、海外出兵に野望を燃やしていきます。

その野望は、中国、インドをも征服するという途方もないものでした。そんな中に、授かったのが、秀頼でした。

できれば、秀頼が成人したら、跡を継がせたい…それとなく天下人に仕立てた甥に頼んだ秀吉は、秀次から難色を示されたことが、秀次事件の発端という説もあります。

秀次失脚後、さらに用心せねばならない相手に、秀秋がいたのです。

・・・この続きは次回までのお楽しみということにさせて頂きます。

レンタルiPadで関ヶ原 PART5

いよいよ秋が深まり、今年もあとわずかになりました。

読書の秋ということで、レンタルで、購入するよりも安価なタブレットやiPadで読む、電子書籍をおすすめ致したく、拙文ではございますが、前回に引き続き、関ヶ原の戦いについて、記述していきたいと思います。img_00011

関東の徳川 家康を狙う上杉 景勝にとって、警戒をしなければならない相手がいました。

”独眼竜”の異名でその名を天下に轟かせた仙台の覇者・伊達 政宗です。syonbori

上杉軍が動こうにも政宗の軍団が睨みを利かせていたのでは、動きたくても動けないのです。ここに三成の挟撃作戦は失敗に終わりました。

ですが、三成には五大老である毛利、宇喜多の他に、薩摩の島津、四国の長曾我部などの西国の強豪たちや、”友情”という感覚の乏しかった戦国時代に三成が”友”と呼べた若狭の大谷 吉継が味方に付いています。

一つの思惑が失敗に終わったからといって、容易にこれらの諸将に敗因の要素を見つけられません。

しかし、家康はそれ以上に周到かつ老獪な手段を二重にも三重にも用意していたのです。

家康は武断派諸将らを西上させ、自身はひたすら江戸から各地の諸将たちに手紙を送っています。

こうして、日本は東軍と西軍に分かれていきます。家康が味方に誘ったのは、どっちつかずの武将もいれば、三成らの西軍諸将達の中にもいたのです。

例えば、西軍中、最大の兵力を持つ毛利 輝元の家来で、吉川 広家などは、毛利家の外交僧である安国寺 恵瓊主導の下による西軍参加に疑問を抱き、密かに家康に内通していました。

安国寺 恵瓊といえば、かつて天下人への階段を登り始めた織田 信長を次期天下人と予想し、ゆくゆくはその座から転げ落ちるとまで言い当て、さらに驚愕すべきことに、まだ信長の家来で、木下 藤吉郎と名乗っていた頃の、無名といっても過言ではなかった秀吉をして、只者ではないと評価していたほどの眼力を持った高僧でした。

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ですが、恵瓊はその後、彼自身が予想していた本能寺の変が起きた時、敵として対峙した秀吉と交渉の末、結果的に秀吉を天下人にしてしまったと言えるようなことをしてしまいます。

”毛利両川”といって、毛利家では、”三本の矢”の逸話で有名な毛利 元就の息子である次男・吉川 元春と三男の小早川 隆景がいて、その二人が後継ぎである甥の輝元を補佐したため、付けられた呼び名です。

言ってしまえば、当主の輝元でさえ、叔父である二人の提言を無視できなかったのです。

発言力の強い二人の内、隆景は秀吉の天下を黙認し、元春は納得はしていなかったようで、その不信感は秀吉との交渉を取りまとめた恵瓊に向かいます。その元春の息子である広家にも、その不信感が遺伝していたようです。

さらに、三成と同じ五奉行の一人で、味方であるはずの増田 長盛でさえ、保身のためか、内通していたようです。

さらには、合戦前にあって、三成と、幕末まで最強の名をほしいままにした薩摩軍団を率いる島津 義弘が、戦術を巡って対立し、合戦においては一度も兵を出さなかったのです。

実際の関ヶ原合戦では、西軍は八万の兵士を集めながら、奮戦したのは、石田 三成、宇喜多 秀家、大谷 吉継ら、三万人弱で、出陣を促された西軍最大の兵力を持つ毛利家を率いる吉川 広家は、弁当を食べているから、動けないという言い訳をして、一度も動かなかったのです。

これを世に「吉川の空弁当」と言われています。

さらに、東軍、西軍どちらも悩みの種として、抱えていた問題の”当事者”が、盆地となっている戦場・関ヶ原を見下ろすようにして、そびえている松尾山に布陣していたのです。

この”人物”は、事ここに至って、どちらに味方するかを迷い、迷っているがために、一歩も動こうとしないという、これまた変わった”人物”でした。

結局は、この”人物”が東軍から言わせれば、関ヶ原の最大の功労者であり、西軍から言わせれば、最大の裏切り者となってしまい、後世にも、”彼”を描いた作品では、大抵が暗愚、愚鈍、優柔不断などのレッテルを貼られてしまっているのです。

 

・・・・この続きは、次回までのお楽しみということにさせて頂きます。

 

レンタルiPadで関ヶ原 PART4

読書の秋ということで、レンタルで、購入するよりも安価なタブレットやiPadで読む、電子書籍をおすすめしたく、拙文ではございますが、関ヶ原の戦いについて、記述していきたいと思います。img_00032

 

三成が担ぎあげた人物は、家康、今は亡き利家以外の五大老たちでした。

中国地方の覇者・毛利 輝元、秀吉に目をかけられていた宇喜多 秀家、上杉 謙信の養子にあたる上杉 景勝らに協力を求めます。

まずは、この三人の中では、一番の領土を持つ輝元を盟主と仰ぎ、年若な秀家は自身と同様、参謀格にし、会津に領土を持つ景勝には、上方にいる自分たちと関東にいる家康を挟み撃ちにすべく協力を求めるといった具合でした。

ほぼ、勝算は出来上がっていました。

しかし、三成と同様に家康もまた勝算に近いものを仕上げていたのです。

それは、三成に兵を挙げさせ、武断派の諸将たちと共にそれを討ち、自然と彼らをその配下に収めることでした。

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そして、三成は昵懇にしていた上杉家の家老・直江 兼続と計らい、家康に対して、弾劾文を送らせ、挑発します。

それが世にいう「直江状」で、家康はこの手紙に激昂すると、会津に謀反の兆しありとして、武断派の諸将たちを引き連れて、下野の小山という場所まで、進出します。

そこへ、三成が上方にて挙兵という報せが入ります。

挟み撃ちの格好になった諸将でしたが、計算していた家康は取って返して三成を討つという宣言をします。

まず、最初に賛成したのが武断派の領袖ともいうべき福島 正則で、さらに関東から上方までの交通路にあたる東海道に領地を持つ山内 一豊は自身の領地を「すべて徳川殿に差し上げる」とまで言い出したために、東海道に領地を持つ諸将は、我も我もと次々に味方に付いたのです。

因みに正則は戦後、安芸・広島城を与えられ、五十万石に近い領地を得、一豊は土佐国(現在の高知県)二十四万石を与えられました。

この一夜にして、豊臣家の武断派諸将を徳川家の傘下に収めた魔術のような会合を「小山会議」といいます。

満場一致かと思われた会議でしたが、静観し、自分たちは三成方に付くと決めていた武将たちもいたようで、それが信州(現在の長野県)上田城の主である真田 昌幸と真田 信繁父子だったのです。

彼らは後に家康を大いに苦しめるに至ります。

そして、家康を盟主に仰いだ武断派の諸将らは東海道を進んでいきます。

一方、会津の上杉家は家康を挟み撃ちにすべく、行動を開始しようとしていたのですが、ここにも用意周到な家康の計略が働いていたのです。

・・・この続きは次回までのお楽しみということにさせて頂きます。

レンタルiPadで関ヶ原 PART3

読書の秋ということで、レンタルで、購入するよりも安価なタブレットやiPadで読む、電子書籍をおすすめしたいと思い、拙文ではございますが、前回に引き続き、関ヶ原の戦いについて、記述していきたいと思います。img_00021

少しでも、電子書籍に親しみを感じて頂けましたら、幸いでございます。

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秀吉には、たくさんの側室がいましたが、最大の力を持っていたのが、お世継ぎ・秀頼の生母である淀殿こと茶々でした。

茶々は近江国(現在の滋賀県)の大名・浅井 長政と織田 信長の妹であるお市の方との間に産まれた娘で、自然と茶々の下には三成らのような近江国出身の吏僚派の武将が集まるようになり、茶々と幼君・秀頼を担いで、半永久的に続くであろう豊臣家での権力を手中に収めようと動き出します。

 

そこへ、三成憎しとする武断派が担いだのが、秀吉の正室・北政所こと寧々でした。

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寧々は秀吉や武断派の武将たち同様、尾張国(現在の愛知県)の出身で、秀吉の子飼いの武将であった正則や清正などは寧々を母のように慕っていました。

その寧々が秀吉の死後に頼ったのが、徳川 家康でした。

つまり、一見、関ヶ原は家康対三成に見えて、その実、寧々対茶々という正室と生母との権力争いの観を呈していたのです。

 

秀吉の死後、後を追うようにして、五大老の一人で、武断派と吏僚派の調停役となっていた前田 利家も亡くなり、いよいよ事態は悪化していきます。

家康は秀吉の遺言の一つである「勝手に大名同士の婚姻を結ぶことを禁ず」を破り、次々に反三成派と婚姻関係を結んでいきます。

さらに、武断派の武将たちが暴発し、三成襲撃を企てるなど、事態は両雄の決戦でしか、収まりがつかなくなってしまいます。

実は家康はこの時期からすでにどういう手段を用いれば、天下を手にできるかという目標に向かって突き進んでいたものと見えます。

今の家康の立場からすると、誰もが頭の上がらない武断派たちの頼れる実力者であるに過ぎず、豊臣家の筆頭家老でしかないのです。

それを巧みに天下の主にするには、三成を立ち上がらせるしかなかったのです。

一方、三成もまた家康の野望を阻止すべく、来る決戦に向けて、着々と準備を始めていきます。

まず、三成の身上は近江・佐和山十九万石に過ぎず、一人で二百五十万石の身代を固める家康に対抗するには、それ相応の人物を担がなければなりませんでした。

・・・この続きは次回までのお楽しみということにさせて頂きます。

 

レンタルiPadで関ヶ原 PART2

すっかり、秋が深まり、肌寒くなってまいりました。

読書の秋ということで、レンタルで、購入するよりも安価なタブレットやiPadで読む、電子書籍をおすすめしたいと思い、拙文ではございますが、前回に引き続き、関ヶ原の戦いについて、記述していきたいと思います。

少しでも、電子書籍に親しみを感じて頂けましたら、幸いでございます。

”豊臣家の最大の敵”となる人物とは、徳川 家康です。

秀吉は小牧長久手の戦いで、甲州(甲斐国、現在の山梨県)の武田家、薩州(薩摩国、現在の鹿児島県)の島津家と並んで、天下最強と言われた三州(三河国、現在の愛知県東部)の家来たちを率いていた家康に敗れたために、結局は懐柔するしかなかったのです。

また、天下を統一するためには、既存の勢力をことごとく殲滅するということは時間がかかりすぎてしまうということもあったのでしょう。

そんな家康を関八州・二百五十万石(現在の東京都、神奈川県、千葉県、埼玉県、茨城県、栃木県、群馬県)に封じたのですが、秀吉が直接、治めていたのは二百万石ほどで、あとは全国の金山から採掘される金、海外との貿易によって得られる外貨、そして経済物流の把握などで、巨万の富を蓄え、天下人としての勢威を誇っていたのです。

つまり、関東という広大な土地に監視付きで獰猛な猛虎を飼い慣らしていたという訳です。

このような寛容で太っ腹な領地授与の結果が、二度に渡る無謀な外征に至るのです。

秀吉としても、日本の土地を外様大名たちに分け与えすぎたがために、海外に土地を求めるというのは、無理からぬことだったのでしょう。

しかし、その理屈は飽くまでも日本国に限ったことで、日本ではない海外では決して通用しない理屈でした。

それが、さらに豊臣家を短命に追いやった事業になるのです。

二度に渡る海外遠征により、日本国内の物価は上昇し、民は疲弊し、かの地で戦線に赴く諸将たちにも厭戦気分が満ちていました。

そこで、持ち上がったのが、槍働きで出世した福島 正則や加藤 清正、黒田 長政、細川 忠興などの武断派と、豊臣家の事務や経理を担当して、出世した石田 三成らの吏僚派の対立でした。

三成は外征の目付役として、度々、戦線に出向いては、武断派の武将と対立し、国内の秀吉に逐一、報告したことから、清正などは秀吉の怒りを買うというような事態にまで、発展し、三成は武断派から憎悪の対象になってしまうのです。

また、この三成と清正の対立には裏があり、豊臣家の女性たちの思惑も絡んできていたのです。

・・・この続きは次回までのお楽しみということにさせて頂きます。